とぴーのゲロっと日記

腹黒さを押さえ込んでいたら便秘になりました

性善説

ニコ生『山田玲司ヤングサンデー』で性善説の話をしていた。


目の前で知らない人が落としたリンゴを、ほとんどの人は拾ってあげる。

人は、困ってる人を無条件に助けてしまう。

これは『善』ベースなのでは。と。


性善説を語る時、同時に性悪説かの二元論になる。

だけど、『善』だけの人がいないように、『悪』だけの人もいない。

どっちが多いのか?どっちがベースなのか?


結論だけ言ってしまえば、人は常に『善』しかしてない。

それはその人にとっての『善』であり、たとえ自分を傷つけることになっても、そうしたければそれはその人にとって『善』で。

客観的に他人がジャッジしたら『悪』になるだけ。本人にとっては常に『善』。


誤解してても。

間違った知識でも。

誰かに言われことでも。


自分が選択したこと、やっていることは全て自分にとっての『善』。


嫌われたくなくて、

逃げられなくて、

脅されていても。


そうすると決めるのは、自分にとって『善』なこと。



『悪』をするんだ!と思ったとしても。

『悪』をすることがその時の自分したいことなら、それはすでに自分にとっての『善』になる。


『善』か『悪』か。

それは他人から見たジャッジでしかない。


自分にとっては、すること全てが『自分の為』

=『自分にとっての善』。



その結果…自分が望まないことになったとしても、それは『悪』だからじゃない。


『望む』か『望まない』かは善悪じゃないから。

『自分の為』や『善』をした結果が必ずしも『望む』ものとは限らない。


この辺を混同してたんだろうな…。

生き抜いてきた

「生きがいについて」という本。

 

100分で名著から流れてきた言葉。

 

「どう生きるのか。じゃなくて、生き抜くこと。」

 

 

色んな苦しい経験に、突然出会う。

 

そういう体験をした人が、生き抜いている。

人生の宿題に耐えきれず自ら命を絶つことをせず。

 

それだけで、十分価値がある。

 

 

生き抜く。

少なくとも、今、私はここまで生き抜いてきた。

何のために生きているんだろう。と悩んできたけど。

 

生き抜いてきただけで、十分。

生きている意味があるのだ。

 

 

そしてこれからも。

死が訪れるまで。

生き抜いてみようと思う。

 

 

悲しみなんて、比べようないのに。

私の方が辛いのに!

私の方が悲しいのに!

 

なんだかんだ言っても。

私の不幸が一番すごいのよっ!

 

 

って。

 

不幸自慢が得意(笑)。

 

 

私の辛かった事を人に話した時。

「あ〜、私の友達もそんな事あったよ。」

「彼女の場合はもっとかわいそうだけど…」

 

って言われて、

「はぁ?(♯`∧´) 💢」ってなった(笑)。

 

私の不幸が小さいって事?

そんな事で悩んでバカなんじゃない?って事?

 

小さい事で騒いでんじゃないわよ。

世の中にはもっと苦労して辛い人いるんだからね。

あんたなんて幸せじゃない、結婚して子供いて。

虐待受けた事ないでしょ?

ひどいイジメも経験ないでしょ?

本当の貧乏とか知らないくせに。

あんたのお母さん、毒親じゃないし。

 

って。

 

そんな事言われてないのに。

勝手に想像して。

 

「(♯`∧´) はあ〜〜〜???」ってなる。

 

謎。

 

謎の怒り。(笑)

 

 

 

。。。

 

辛さとか悲しみとか苦しみって。

人と比べるもんじゃないのにね。

 

もちろん幸せも。

 

 

っていうか。

 

それ、勝って嬉しいのか?私。

 

 

 

嫌な気持ちほど思い出すワケ

本当の気持ちはなかなか出てこない。

 

どうしてこんなに苦しいのだろう。

わかってもらえない、って思うのだろう。

 

誰に、何をわかって欲しいのか。それすら分からない。

 

本当。本当。本当。。。。

 

今の、このどうしようもない自分こそ

本当の自分なのか?

 

もう否定しなくていいよ。

もうダメだと思わなくていいよ。

 

 

そんな言葉を投げかけながら。

 

自分の醜い感情に蓋をする。

 

 

 

ひどい扱いをされたのに、

その人のことを、何度も思い出しては嫌な気持ちになる。

 

本当はその人と”いい関係”になりたかった。

横柄で高圧的な態度をされていたのに。

そういうタイプの人が嫌いで苦手なはずなのに。

 

嫌だから、何度も思い出すのだと思っていた。

 

でも。

 

そもそも。嫌なのに、なんで思い出すの?

 

もしかして。

その「嫌な気持ち」が好きなんじゃないの?

 

 

 

不思議なもので。

人は時々「臭い」ものを何度も嗅ぐ。

嫌な出来事を何度も思い出す。

やめたほうが良いと知りつつ、会ってしまう。

 

「嫌な感情」も。。。。ひとつの快感なのだ。

 

 

美容師のイケメン兄ちゃんを思い出して気持ちよくなるのも。

嫌味を言ってくる人を思い出して嫌な気持ちになるのも。

 

どっちも感情の上で「快感」だとしたら。

 

 

 

こうやって何度も何度も思い出す、理由が分かる。

 

 

本当の自分は、決して「良い人」の部分だけじゃなく。

ドロドロでアホな選択をしてしまう部分を含む。

 

あんなに気持ち悪くて、嫌味で、器が小さくて(身長も小さい)

高圧的で世俗的で、人として大っ嫌いな男に、

私は惹かれていたのかもしれない。

 

そんな自分を認めたくなかった。

 

 

性犯罪とか虐待とか、一番嫌いなキーワード。

そんなことを考えただけでも、身震いして怖い。

 

ものすごく嫌って、怖がっているのは

私の中にそのテーマの「ひっかかり」がある。

 

 

大っ嫌いなタイプの気持ち悪い男に触られることを

想像しただけで、吐きそうだけど。

どこかでそれを自分にさせたい欲望があるのかも。

 

それは自分を不幸にしたいと思う、根深い自分への恨み。

 

 

「幸せになりたい」って口では言いつつ。

私を含め世の中の多くの人が「自分だけは許せない」と思っている。

 

それは「理想的な自分」になれていない自分に腹を立てている。

 

他の誰を恨んでいるのでもない。

私が恨んで許せないのは、このちっぽけな私なのだ。

 

 

「憎しみ」と「愛」が全ての行動を司る。

 

 

私は私を「愛」しつつ

私を「憎んで」いるんだ。

 

 

だから本当の自分がわからなくなる。

まさか、自分が自分を憎んでいるなんて。

そんなはずない、と否定するから。

 

 

夫との関係も。

仲の良い時と、絶望的になる時と。

両方同じぐらいある。

 

それは私の中に

「私を大切にしたい」気持ちと

「私を不幸のどん底に落としたい」気持ちの両方があるから。

 

 

 

 

このダークサイドな気持ちを、認めてほしくて。

私に分かってほしかったんだ。

 

本当の私は、綺麗な部分だけじゃなく

汚くて醜くていやらしい部分もある。

 

その両方が私。

 

認めて受け止めた後。

好きな現実を選べば良い。

 

 

まずは。認めてみる。

 

あの「気持ち悪い男」と”いい関係”になって

めちゃめちゃに犯されてみたかった。

 

そう ちらっとでも心の片隅で思ったこと。

 

 

 

そんなの、現実に起きたら困るし絶対嫌だけど。

 

そう思えば思うほど、

自分がイケメンの大好きな人に抱かれる現実も起こさない。

 

 

好きなのか嫌いなのか、もはや分からなくなった夫に抱かれるだけ。

 

 

なんのために、生きているのか。。。わからなくなるだけ。

解放する喜び

どうも。お久しぶりの とぴー です。

 

痔の痛みもすっかり和らぎ。

穏やかな日常にもどりました。

あんなに痛かったのに、過ぎ去れば忘れてしまう。

 

ああ。人間ってこんなもんです。

 

 

さてさて。

あの痔の経験を境にして、私の環境は一変しました。

 

一番見たく無いモノを、あんなにも見せられた(見続けた)ので

私の中の何かが変わったのでしょう。

 

自分の腹黒い気持ち。恥ずかしい気持ちも

見てもいいかも。見せちゃっていいかも?と思うようになりました。

 

お尻の穴の次に見たくなかったのは…

自分の中にある性欲。

 

もともとあまり性欲は弱くて。

この手の話は、私に関係無いわ。って顔して生きてきました。

 

 

ところが。

それも見て見ぬ振りだった。

 

私の中に、押し込められた欲望があった。

 

 

男の人にとって”性の道具”として扱われるのが嫌だったから

自分は女である事を否定していたけど。

交わりって、そういう側面だけじゃないよね。

(もちろんそういう部分もあるけど)

 

 

その汚らしい部分だけは嫌。

綺麗で気持ちいい部分だけ欲しい。って思ってたみたい。

 

私の中にも、ドロドロしたものあるんだよね。

汚くて卑劣で卑猥な部分。

 

まさにそれを旦那さんに開示して。

1週間、連チャンで夜のお勤めしてみました。

 

 

私がしたかった、キャミソール着てしたり。

旦那さんだけが気持ち良くなる事したり。

 

何年もほぼレスだった二人が嘘のように。

 

 

体の解放…怖いけど気持ちいいです。

気持ちいいけど、不安もあります。

 

エロい自分は認めたくなかったけど。

小さくなって…隠れて…息をひそめながらも

解放してもらえるのを待っていたんだ。

 

もう人生の折り返し地点。

恥ずかしがって遠慮している暇は無い。

 

せっかく人間として、女性として生まれてきたのだから。

それを目一杯楽しまなきゃ!

 

胸も詰まる

前回までの記事、「痔に泣いた話」の痔の痛みは

2週間経った頃、ほぼなくなりました。

 

3週間目にはかなり普通の生活に戻れました。

そして、便通も改善しつつあります。

 

 

どうやら私はいろいろなものを体に溜め込む癖があるようで。

お腹に便もためるし。我慢も溜め込む。

感情も飲み込んで吐き出さないし。

モヤモヤがあっても胸に押し込める。

 

気持ち悪いし、不快なので

溜めずに出せたらいいと思っているのですが。

 

なにせ、出し方がよく分からない。

 

特に感情とかモヤモヤって、目に見えないし。

ぼやっとしててよく分からないし、変化していくし。

 

この感情を言葉に変換できたらいいのに。

言葉にするって、それに力と形を与えるから。

 

でも。ピタッとくる言葉が思い浮かばない。

 

そしてまた。モヤモヤだけが霧のように、ヘドロのように溜まっていく。

吐き出し方を知らない私が

思い切って吐き出そうとすると

それは火山の噴火状態になり

莫大な被害を自分にも周りにも与えてしまう。

それがわかっているから、また我慢しちゃう。

 

 

噴火してもいいから、出してみるか。

マグマが動くのは地球が生きている証拠だもんね。

痔に泣いた話 その2

切った部分が膿んでいないかの確認のため、

月曜の朝にもう一度通院するように言われていました。

 

その日の朝。

痛みがあってから初めてのお便りがあり。

まあ、硬いお便りでして。

排便の痛みは弱かったけど、拭くのが痛いし

押し込めていた痔がポッコリ外に出てきました。

今から病院行くし、まあいいか。と。

 

車の運転は辛かったけど、無事病院に着き。

先生に診てもらうと、

「あーまたすごく腫れているねー。」

有無を言わせず、出ている痔をぎゅーっと押し込められる。

「!!!!」

せっかく手術した傷の痛みが和らいでいたのに

痛みよ再び!

「また出てくるといけないから15分横になっててね」

そして15分後。

「あれ?またでてきているね。」

ぎゅーーっ。

「!!!!!!!!」

痛みが5割増に!!

 

先生も看護婦さんも「これで楽になるよ」

と言っていたけど。

病院に来る前より痛くなってるし。

帰りの車の運転は軽業師のように左足で下半身の重みを支え

ハンドルで体を固定し、片道20分。

『2度とこの病院には来ない』とつぶやきながら

家に戻って布団に横になることを目標に運転しました。

 

 

もうあの病院は行かない。

自己治癒で治す。

お風呂でお尻を温め。カイロと湯たんぽで温める。

そしてひたすら安静に。

みのり先生のブログで排便が大事。とあったので

とりあえず小麦除去を2週間やってみよう。

 

嵌頓痔核は痛みのピークが2〜3日続き、

2週間ほどで痛みもおさまり

1ヶ月経つと腫れがしぼむそうで。

要するに”日にち薬”なのです。

 

根本治療は排便をよくするしかない。

 

はー。便秘歴ウン十年。

お腹に溜めたのは便だけじゃなく

不満や不安な気持ちも飲み込んだから。

吐き出せない思いが、便秘の症状になっているのだと感じてます。

 

 

今までは騙し騙し乗り越えてきた便秘と痔。

 

ここいらで本気で向き合ってみよう。